こんにちは。koga.ライターのみっちゃんです。
古河市内に点在する神社の一つに頼政神社があるのをご存知でしょうか?
頼政神社は、先代のお父様が数年前にご逝去され、現在ご子女である福知智津子さんが宮司として引き継がれています。
今回はその智津子さんにお話を伺いました。
【錦町に鎮座した頼政神社】

頼政神社高台の奥に佇む拝殿
頼政神社は、平安時代の武将・歌人として知られる「源頼政(みなもと の よりまさ)」(1106年生まれ)をお祀りしている神社です。
頼政は、治承4年(1180年)、以仁王(もちひとのおう)と共に平氏討伐の兵を挙げました。
しかし、宇治平等院の戦いで敗れ、最後は自ら命を絶ったと伝えられています。
そのとき頼政は、家臣たちに
「自分の首を持って、諸国を巡ってほしい」
と言い残しました。
家臣たちはその言葉に従い、頼政の首を携えて各地を巡ります。そして下総国・古河の地でひと休みしました。
ところが再び立ちあがろうとすると、首を納めた袋が急に重くなり、どうしても持ち上がらなくなってしまいます。
これは「この地に葬ってほしい」という頼政の思し召しではないか―。
そう考えた家臣たちは、この古河の地に塚を築き、丁重に弔いました。これが「頼政郭(よりまさくるわ)」のはじまりと伝えられています。
その後、この地に城が築かれると、歴代の城主たちは頼政公を城の守り神として大切にお祀りするようになりました。
さらに元禄7年(1694年)、頼政の子孫にあたる「松平信輝(まつだいら のぶてる)」が古河へ移ると、古河城内の南端に社殿が建てられます。
こうして頼政神社は正式に鎮座し、城内外から厚く信仰されるようになったと伝えられています。
※源頼政を葬ったとする伝承は諸説あり

階段を上がった先に見える参道
しかし大正元年(1912年)、渡良瀬川の改修工事が行われることになり、頼政神社のあった場所は河川敷の川底に入ってしまうことになりました。
そのため、やむなく移転することになります。
もともとは旧古河城内の南端にある「頼政郭」に鎮座していましたが、工事に伴い、旧古河城の北西端にあたる土塁の上へと移されました。
これが現在錦町に鎮座する頼政神社です。
※土塁とは敵からの侵入を防ぐため土を盛り上げて作られた堤防状の防御施設です。
【伝説が伝わる鵺(ぬえ)退治とは?】

頼政神社の社務所に飾られた一枚。手拭いとしても販売
一流の弓の名手として知られた源頼政。
頼政神社には、頼政公が怪物「鵺(ぬえ)」を弓で射落としたという伝説が、今も語り継がれています。
鵺とは、頭は猿、胴は狸、手足は虎、そして尾は蛇――
それぞれ異なる動物の姿をあわせ持つ、不気味な妖怪といわれています。
都をおびやかしていたこの怪物を、頼政公が見事に射抜いたという逸話は、彼の武勇を象徴する物語として広く知られています。

参道にある頼政神社の案内板
頼政神社の階段を上がり、参道を進むと左手に当時の地図や古い文献が掲示されています。
そこには、源頼政が鵺を射落としたこと、そして最後のとどめを刺したとされる家来の「猪 早太(いの はやた)」の名も記されています。猪早太もまた、この頼政神社にゆかりのある人物のひとりです。
少し漢字が多く、難しく感じるかもしれませんが、ひとつひとつ読み進めていくと、当時の様子が少しずつ見えてきます。
頼政や猪早太、そして鵺の姿に思いを巡らせながら参拝すると、きっとより心に残るひとときになるでしょう。
ぜひ登場人物や鵺の姿を想像しながら、ご覧になってみてください。
【頼政神社の守り神は?】

本堂横に祀られている御神馬
こちらは頼政神社に祀られている御神馬様で、源輝貞公奉納の時に移された物の一つです。
令和8年は午年(うまどし)。頼政神社の守り神は「馬」です。
「神馬に願いを乗せて物事がうまくいきますように」と宮司の智津子さんはにこにこしながらその思いを話してくれました。
「ご覧になりたい方は見られるように開けますので、申し出下さい。」とのことです。
また、御開帳が毎年正月の三が日と5月5日にありますのでその時も拝観することができます。
【感謝や祈りを伝える、巫女の舞】

巫女として舞う、智津子さんのお嬢さま
頼政神社には巫女の舞がいくつかあります。
「浦安の舞」
最も親しまれている巫女舞の一つ。平和への願いが込められています。
「豊栄の舞」
豊かに栄える事を願い五穀豊穣や国民の平安を祈ります。
「剣の舞」
勇壮で力強い神楽の一種で邪気を祓い清めます。
たくさんある巫女の舞の中でも代表的なものを教えて頂きました。舞いには祈りや感謝が込められています。
智津子さんのお嬢さまたちも学校に通いながら舞や楽器の練習をしていて、5月5日の大祭には披露されます。ぜひ皆さんも足を運んでみて下さいね。
【ご当地キャラとのコラボ御朱印とは?】

「古河城三社めぐり」の御朱印デザイン
この度、旧古河城ゆかりの地、古河市内の神社三社共通デザインの御朱印ができました。
令和8年のこの新年から「古河城三社めぐり」と題して展開しているこの企画は市非公認ご当地キャラクター「こがにゃんこ」の作者で古河出身の小太刀御禄さんの働きかけでコラボが実現されました。
共通デザインを採用したのは、頼政神社(錦町)の他に、雀神社(宮前町)、鶴峯八幡宮(中田)の三社です。
古河の歴史や文化を多くの人に知ってもらい、地元古河を元気にしたいとの想いから実現した初の試みです。
いずれも旧古河藩主の土井利位の「どいしゃむ位」や同藩家老の鷹見泉石をかたどった「たかみにゃん石」、頼政については「みなもとのよりゅ政」など、それぞれこがにゃんことのコラボデザインになっています。
御朱印には、各神社の由来や古河城との関係を示すエピソードが反映されています。

こがにゃんこデザインの交通安全シール
また、頼政神社では同社に祀られている木製の神馬像をかたどったシールの製作も小太刀さんがデザインしました。
製作された小太刀さんは、古河城が地域や神社にとってどんな存在だったか思いを馳せてほしいと話されていました。
(出所:茨城新聞社より一部抜粋)
【地域とともに未来へつなぐ頼政神社】

立派な石灯篭・補強が必要な大赤鳥居・大く茂った樹木
現在、頼政神社は智津子さんお一人で運営されていますが、智津子さんのお嬢様たちも学校卒業後は智津子さんを助け、共に地域に根差した神社を目指していきたいと話しているそうです。
後継問題に悩み頭を抱える方がたくさんいますが、お嬢様たちのように自ら進んで家業を継いでくれることが、神社にとっても地域にとっても本当に心強い存在です。
「これからも氏子さんたちと力を合わせて貢献していきたい」と智津子さんは強い思いを語ります。
また頼政神社では、ご商売をされている方々にはお稲荷さんや大黒様など守っている神様に合わせて御祈祷もしています。新しく始められる方は相談してみて下さい。
【地域の心の拠り所を未来へ】
地域の神社は、老若男女問わず心の拠り所となる存在です。頼政神社も100年以上の時を経て、補修や整備をしながら大切に守ってきましたが、いよいよ大規模な修繕が必要な時期を迎えています。
大赤鳥居は根本からの補強や樹木の伐採さらには土止めなどが必要なのに対し資金繰りが厳しい状況です。現在、維持継続のための寄付金を募っているそうです。
「何かできることはないだろうか」「少しでもチカラになりたい」
そんな小さな1人の想いが2人、3人へと広がり、やがて多くの人々に見守られる場所になっていくことを願います。
【まとめ】
私自身このkoga note.に出会い、そして宮司の智津子さんとのご縁をいただいたことで今回の頼政神社の歴史を知ることができました。
頼政神社は、1年、5年、10年・・・と積み重ねてきたからこその今があります。
その歴史を知ることでより一層の親近感が湧いてきます。
伝統の継承に心血を注ぐ智津子さんのお話は、私にとってかけがえのない心の財産となりました。
これまでの歴史への敬意と感謝を込めて、頼政神社の末永い繁栄を願っています。
(ライター:みっちゃん)
頼政神社
〒306-0037 茨城県古河市錦町9−4
電話:0280-22-5641
社務所受付10:00〜16:00
不定休(仏滅お休み)
頼政神社(よりまさじんじゃ)/古河市公式ホームページ
https://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/soshiki/kanko/6_1/1576.html