【古河城三の丸より見たる三階櫓と菱櫓 明治3年 武藤松庵撮影(古河歴史博物館所蔵)を許可を得てkoganote用に一部切り抜き】
みなさん、こんにちは!
神奈川逗子生まれ逗子育ちの古河城を愛する城好きオジサン、山田直弘です。
古河城が好き過ぎて、テレビ東京「ありえへん∞世界」の密着取材を受けた事があります。(お蔵入りしましたwww)
年末になると「最強の城」と銘打った番組がたくさんテレビから流れてきます。
また、「日本100名城」とか「続日本100名城」などをテレビやSNSを通じて視聴することが多いですね。
しかし、残念ながら城跡が無い城下町古河では【城下町=城がある】といわれてもピンとこない感じがしませんか?
そこで今回のkoga note.では目一杯、古河城を語らせて頂こうと思います。
古河城のあった場所
みなさんは古河城のあった場所を知っていますか?
大抵の方は「古河歴史博物館のところ」というお声を頂きます。理由は簡単でそこが「一部の地図やカーナビで古河城跡と表示されるから」です。
まあ、半分合っているのですが、あんな小さい範囲があの天下の名城【古河城】だと思うなかれ。
正解は後述しますが、とんでもなく広い範囲が古河城域になります。
ちなみにランドマークともなる巨大な天守閣はリバーフィールド古河の野球場Aの一塁スタンド周辺あたりにありました。

天守閣があった場所に古河城バルーンを建てた時の写真(2019年)
古河城の大きさ
「古河市史資料集第10集 古河城・鴻之巣館 遺構調査・発掘調査報告書」(1985)によると「古河城は、外郭まで含めた範囲は辰崎曲輪の南端(クリーンセンターの南側)から追手口片町側濠(古河市消防団第五分団南側)まで、凡そ南北1800m、東西350~400m(中略)、これに出城である諏訪曲輪(南北105m、東西150m)が含まれる。(中略)古河城は、水戸・川越両城と共に巨大な城郭であったことが判明する。」(同書20頁より引用、下線部は著者加筆)と記されていることから、古河城は関東地方で群を抜いて超デカいお城であった事が分かります。
ちょっと強引ですが、古河城本城の面積を1800×400=720000㎡とすると出城の面積は105×150=15750㎡でその差は45倍!古河城本城でかい!!
出城とは違うのだよ、出城とは!!

古河城跡の北端。第五分団の南、輝整骨院さんのあたり

古河城跡の南端。クリーンセンターの南側の丁字路

絵図1 正保城絵図下総国古河城絵図
出典:国立公文書館・URL:https://www.digital.archives.go.jp/gallery/0000000425
古河城出城は真ん中の水に囲まれた四角いスペース。
その左側が全て古河城本城。その差は45倍。出城とはちがうのだよ出城とはぁ。
古河城の知名度
古河城の古河の知名度はちょい低めですが、古河城の知名度は全国区です。
なぜ知られているかというと
①コーエーテクモゲームス『信長の野望』に古河城が出てくる
古河のある茨城県南西部は下総国に属しますが、下総国を代表する城郭として「古河城」がこのゲームでいつも採用されている為、認知度が高いという恩恵があります。
関東の将軍として関東戦国時代の秩序の頂点にいた古河公方足利家が古河城に居たという事実もこういった扱いを受ける大きな要因なのでしょう。
②里見八犬伝で知っている
2024年に公開された映画「八犬伝」は江戸時代のファンタジー小説家・滝沢馬琴が28年の歳月をかけて執筆した「南総里見八犬伝」を虚実交えて映画化した作品ですが、こちらにも古河城がモデルの城郭【滸我御所芳流閣】として出てくることで有名ですね。
犬塚信乃と犬飼現八が決闘をする芳流閣の場面は里見八犬伝屈指の名場面として現在まで愛され続けています。
下は現在も浮世絵として大人気のテーマである「芳流閣決闘の場」。歌舞伎などで繰り返し上映されました。

絵図2 里見八犬伝に出てくる古河城がモデルの芳流閣
出典:『芳流閣決闘の場』(歌川国芳)山田家所蔵
実物の城跡が無くてもゲームや小説で全国区の知名度を誇るのが古河城の珍しい特徴といえるでしょう。
普通のお城の運命と古河城の特異性
古河城は1873年(明治6年)とその翌年のいわゆる【廃城令】でお城の建物は壊され、一部の蔵や門、石垣や礎石に至るまで払い下げられて【古河城跡】になりました。と、ここまでは日本全国の大部分のお城(例えば、岩槻城や忍城、結城城など)と同じ運命です。
運命が大幅に変わってくるのは明治時代から大正時代にかけてです。足尾銅山鉱毒の影響もあり、国家事業として渡良瀬川の大規模治水工事が行われることになりました。
北川辺旧川の方に蛇行していた渡良瀬川をまっすぐにして洪水無く海まで河水が流れる様に、さらに渡良瀬川のオーバーフロー越水を防ぐ為に、古河城跡の城山(舌状台地)を全て取り壊し、それを土砂にかえて高い堤防を造ろうというものでした。
そこで発揮されたのが古河城の持つ特異性です。城跡取り壊しについて地元住民の反対運動は起こらなかったのでスムーズに古河城跡は取り壊されました。
栃木県小山市の小山祇園城跡が国指定史跡になっている事から鑑みても、関東将軍の城として、また古河藩の藩庁として機能した古河城は城跡として残っていれば国指定史跡になっている事間違いないでしょう。
観光の目玉になっていたのになぁ。【最強の城】にも選ばれたかもしれないのになぁ。残念。

破壊される古河城本丸跡 提供:古河歴史博物館
渡良瀬川河川改修工事で人工的に崩されている古河城本丸跡(現在のリバーフィールド野球場あたり)の写真です。トロッコを引くお馬さんの大きさから土塁の高さを想像してみてください。おそらく出城のそれの1.5倍くらいの比高があると思います。
お城再建活動も少ない
古河城はお城再建活動も少ないのが特徴です。
お城を再建するには、再建城郭に多角的な役割、たとえば郷土資料館や観光設備などが求められますが、古河にはすでに歴史博物館がありますのでこの線での再建活動が出来ないのが大きな理由かもしれません。
ちなみに歴史博物館がある自治体は稀有で本当に誇るべきものです。
近隣の歴史文化都市である足利市にも歴史博物館はおろか博物館すらない状況のようです。
古河すごい!!

夕日と関宿城博物館 photo by SSKLab
出典:https://www.facebook.com/photo?fbid=3390315051043184&set=pcb.3390319737709382&locale=ja_JP
一般的な歴史系博物館の一例、関宿城博物館。全国的なお城再建ブームであった昭和50年代以降、こういった博物館併設での郷土の城郭再建運動が盛んでした。
VRで再現なんてどうですか?
昨今、お城の再建をVRで行っている場所が増えてきています。
実際、日本最大のお城の祭典「お城EXPO2024」に「古河城」として出展した際も古河城御成門のVR動画体験を出しましたが、なかなか好評でした。
古河は合併特例債で作成した古河城&古河宿の3DCGもありますし、相当な広範囲でVRお城&城下町観光ができそうだと私は思うのです。
https://cf262071.cloudfree.jp/cg/video_onarimon_walk-through.html
(古河城のCG御成門動画 低空飛行のページ)
市民の心に古河城を建てろ!
一番怖いのは、古河市に住む皆さんの心から古河城があったことも忘れられてしまうことです。
水戸城や川越城と肩を並べるほど大きいお城をもつ城下町だったのにそれは悲しすぎると、逗子生まれ逗子育ちの古河市民である私は思うのです。
次世代に古河に住み続けるファクターの一つとして、また郷土自慢できる町としての側面を残してあげたいから…市民の心に古河城を建てろ!
それだけで古河市の未来は変わってくるはずです。

GoogleEarthに古河城全体のkmzファイルのCGを読み込んだ画像
新三国橋から古河のまちを見たときに古河城があったらこんな感じであったはずです。今の河川敷からは全く想像できませんよね?
これぞギャップ萌え!!
市民の心に古河城を建てろ!
(ライター:山田直弘)
参考文献
古河市史編纂委員会(1985):「古河市史資料第10集 古河城・鴻之巣館遺跡調査・発掘調査報告書」
古河市教育委員会(2004):「古河城跡分布調査報告書1」