古河市民の憩いの場として親しまれている古河公方公園。
この公園には室町時代に築かれた【古河公方館跡(こがくぼうやかたあと)】と呼ばれるお城跡があります。
古河公方足利成氏館跡・鴻巣館跡・鴻巣御所跡など様々な呼ばれ方もしています。
実はこの古河公方公園は歴史を大きく動かした名所とも考えられている場所ってご存知でしたか?
そんな歴史ある公園の見どころスポットをご紹介します。
圧巻の堀切残る【古河公方公園】
敵の侵入を阻む圧巻の【大堀切(おおほりきり)】は一見の価値あり!!
埋没はしているものの保存状態も良く、「お城マニア」を唸らす遺構です。
堀切で尾根を区切ると、攻めづらく守りやすい!!
鉄砲や弓矢でやられちゃう。
(写真:古河公方公園内の公方様の森)
そのほかにも城を守るために土を盛った【土塁(どるい)】や、お城を守る水堀としての【御所沼】などがあります。
(写真:古河公方公園外 東側 「古河公方館跡」の標識のあたりから撮影)
(写真:古河公方公園管理棟より撮影)
(写真:民家園横の古河公方館跡の石碑 上記写真の数字が撮影場所です。)
沼は掘り返せるけど、崩した城跡は一生戻ってこない。
ここまでの保存状態で残してくれた昔の方に感謝です。
戦国時代は【古河公方公園】から始まった!?
(個人蔵 「古河志写本」 足利成氏の事績が記されています。)
最近の研究では、「鎌倉公方」足利成氏(あしかがしげうじ)が「古河公方」を名乗るに始まる「享徳の乱(きょうとくのらん)」から、日本の戦国時代は始まったのではないかという見解も生まれています。
足利成氏は古河に来て最初の2年間はこの古河公方館跡を本拠地としていました。
日本の戦国時代は、この古河公方公園から始まった、といっても過言ではないかもしれません!?
(個人蔵 「古河城絵図」 古河城の南に古河公方館跡の半島を確認できます。)
【女城主】のいたお城としても有名です
戦国時代のスターティングポイントかもしれない古河公方館跡。
かなり異色なお城でもありました。
1590年から1630年の40年間、「足利氏姫」・「喜連川義親」・「喜連川尊信」の3代に渡り、幕藩体制の例外として古河の一部を支配し続けます。
とくに氏姫様は足利家の御姫様。女城主としての一面もあったのです。
「古河ってどんなまち?」って聞かれたときに
(足利成氏軍旗 復元品)
古河から離れて暮らす機会を得ると必ず聞かれるこの質問。
みなさんはなんと答えていますか?
いろいろな回答がある中の一つに
「古河って戦国時代が始まった場所なんだって!!」
っていう故郷自慢な回答を加えてみませんか?
古河公方公園(古河総合公園)
茨城県指定史跡古河公方足利成氏館跡
〒306-0041
茨城県古河市鴻巣1045
古河公方館跡/古河市公式ホームページ (ibaraki-koga.lg.jp)
https://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/soshiki/syoko/6_1/1585.html
(取材:山田直弘)