茨城県指定文化財 熊沢蕃山の墓
みなさん、こんにちは!
趣味で古河の歴史研究などをしている【こがキラphotoクラブ】OBの山田です。
古河市大堤に日本を代表する思想家?哲学者?学者?が眠っているお墓があります。
その人物をぜひご紹介したいと思い、筆を進めました。
【古河の偉人ナンバーワン】
万葉から続く歴史文化都市・古河。
そして古河を彩る偉人達、足利成氏・土井利位・鷹見泉石…
しかし残念ながら古河市以外ではほとんど知られていない偉人達ばかりです。
なぜかといえば理由は簡単。
「教科書に黒文字で出てこない」➡「そこまで勉強しない」から。
そんな古河の偉人たちの中で一人だけ別格がいます。
それは江戸時代の陽明学者
『熊沢蕃山(くまざわばんざん)』です。
熊沢蕃山肖像画(出典:Wikipedia)
【高校の教科書に載ってた】
「高校日本史B」や「倫理」の教科書で黒文字で出てくる日本史上および、思想史上の超重要人物。
いわば高校の試験勉強や大学受験で日本史や倫理を勉強した事のある方なら日本全国誰でも覚えようとした人物です。
私も大学受験でたくさん熊沢蕃山の事を勉強した記憶があります。
※25年振りに高校生の頃のノートを引っ張り出してみた…
熊沢蕃山が「下総古河に幽閉された」という部分はセンター試験(共通一次試験)で出題された事もあったので、足切りに備えて覚える様に授業で聞いた記憶が今も残っています。
【土木事業が得意分野】
日本における非常に優れた陽明学者の一人で、岡山県にある日本最古の藩校・「花畠教場」の教授となった熊沢蕃山。
➡花畠教場 https://www.webtsc.com/blog/12115/
蕃山は学者としてだけでなく、土木事業など多方面に優秀で岡山県の岡山藩を皮切りに大分県の岡藩などの行政改革担当官として、その腕を振るいます。
しかし賢すぎる故か江戸幕府の矛盾点が気になりムズムズ。
陽明学の実践的な観点から「大学或問(だいがくわくもん)」で江戸幕府の参勤交代批判などの体制批判を行い、茨城県古河市にある古河藩の古河城立崎「頼政曲輪」に軟禁されます。
出典:正徳二年本多中務大輔忠良下総国古河城絵図(山田家文書)
※熊沢蕃山が住まわされた古河城頼政曲輪。現在の新三国橋北側にある送電用鉄塔のあたりになります。
【陽明学ってなんなのさ】
陽明学は儒学の一派で、人の善良な心に従って行動すべし、とする学問です。
たとえば
・『機動戦士ガンダムUC』でジンネマンのマリーダ・クルスへの名言
「最後の命令だ…心に従え」
・『踊る大捜査線 THE MOVIE2』での室井さんの名言
「自分の判断で動いてくれ。現場の君たちを信じる。」
これらは陽明学的な実践哲学を勧める言葉だと思います。
己の信念を貫く点では素晴らしいですが、やはり革命的な思想を生みやすいです。
熊沢蕃山の陽明学的な生き方を参考にした偉人は
大塩平八郎、山田方谷、西郷隆盛、吉田松陰
そしてその弟子である高杉晋作などをはじめとする長州系維新志士。
熊沢蕃山の思想は維新志士を経て江戸から明治への明治維新というひとつの革命に大きな影響を与えたのです。
【古河の熊沢蕃山】
さて、古河での熊沢蕃山。善良な心に従って行動しすぎたため幕府に命じられ、晩年古河城に軟禁されることとなります。
軟禁とはいっても比較的自由であったようで藩政にも参画したと伝えられます。
古河藩での業績として商品開発・河川工事などがあり、丘里工業団地南側の溜池は古河市市民栄誉賞を受賞した故・川島恂二先生が「構造的に熊沢蕃山が築堤したものではないか」とまちに進言し、当時の総和町によって「伝・蕃山溜」として指定文化財に指定されました。
「伝」で文化財に指定されるあたりが個人的に大好きです。
※「伝」とは??➡「根拠も証拠もないけど、遺跡かもしれない。知らんけど」
という意味です。考古学的根拠が必要な遺跡で「伝」で遺跡が行政から指定を受けるのは全国的に見ても珍しいです。
※古河市指定文化財「伝蕃山溜」。ヤマザキビスケット第一男子寮の南側にある公園「蕃山公園」の中にある沼です。
【その思想は幕末の志士へと受け継がれ】
その後、古河の地でその波乱の生涯を終え、古河市大堤にある鮭延寺様に手厚く弔われ、そのお墓は昭和36年に古河では数少ない茨城県の指定文化財に認定されました。
「蕃山先生」と彼を慕う人は多く、吉田松陰など幕末の人物にも多大な影響を与えます。
あの勝海舟をして【儒服を着た英雄】と言わしめています。
※儒服とは儒学者が着る服の事です。
取材日も蕃山の墓に手を合わせる御年配の方がいらっしゃいました。
学んだ事を活かしてこそを旨とした蕃山の陽明学。日本を変えてしまうほどの影響力を持ったその思想。蕃山と同じ古河に住む人間としてかくありたいものです。
※江戸時代には古河の名所として有名だった熊沢蕃山のお墓。偶然、東京から熊沢蕃山のお墓参りに来られたというご年配の方に遭遇しました。
有名な熊沢蕃山のお墓があるという事で、江戸時代の地誌、そして明治時代から現代までの古河地方の観光案内には必ず載っている「茨城県指定文化財・熊沢蕃山の墓」。
文化財が残っていてもそれが何なのか分からないと、無いのも同じ。
「知る」ということもその地元に住む人間としての重要な責任の一つだと私は考えています。
※昭和初年の古河観光案内より。大堤交差点のあたりに「蕃山之墓」が見られます。
(ライター:山田直弘)
取材先
【曹洞宗 正源山 鮭延寺】
古河市大堤1030-1
参考資料
【岡山県備前市HPより】
https://www.city.bizen.okayama.jp/site/bunkazai/8865.html
【茨城県指定史跡 熊沢蕃山の墓】
https://kyoiku.pref.ibaraki.jp/bunkazai/ken-259/
【古河市指定文化財 伝蕃山溜】
https://www.city.ibaraki-koga.lg.jp/soshiki/syoko/6_1/1581.html